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奇遇・・・・池田満寿夫



先日、庭に咲いた30年ぶりのハマユウと、その夕方、知人から歌集「浜木綿」を頂いた
奇遇・偶然の話を書いた。



今朝の朝日新聞を見ると、学芸欄に「池田満寿夫さんの版画800点寄贈」とある。

2週間ほど前に、池田満寿夫が若い頃、浦和に下宿していたことをこのブログ書いた。

不思議な偶然。

世の中に、偶然なんてなくて、すべて必然のはずだが、偶然があるからと思うと生きてることも楽しくなるし、明日があるような気がする。


写真をやっているが、まさしくあれは、偶然の産物だ。

何十枚かの偶然の中から、必然らしきものを選ぶ。

そして、偶然を必然と思って作品に伸ばす。
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そこに道はありません



昨日、機関誌の割付作業で、一日が過ぎてしまった。

そんなわけで、運動不足。

今朝、4時半に目が覚めてしまった。

窓を開け、冷たい空気を入れて、耳を澄ますと、ヒグラシが鳴いているではないか。

セミが時を先に行っているのか、梅雨明けが遅いからなのか。


親子ずれの自転車、4台がが通る。

その道は、行き止まりだというに、30代前半の父親は元気。

その道は、隣の村に通じていたのだが、飛行場ができて行き止まりになってしまったのである。

家のものから聞いた70年も昔の話である。

昔は、野ウサギが取れたんだよ。

兄とクワガタも取りに行った。


さてさて、こんな早くに、夏休みの遊びに、昆虫採集にでも出かけたのか。

ハマユウ・・・・その後



7/25、午前11時ごろ、我が家の頑張り屋のハマユウについて、ブログした。

なんとなんと、その夕方、古い友人から歌集「浜木綿」を頂いたのである。

歌集を出されたというのは聞いていたが、歌集が「浜木綿」とは。

浜木綿の生命力を、感じた。

歌を読む前に、不思議な巡り会わせを御礼の手紙に書いた。

そして、

昨日の夜と今朝早起きして、一気に読み上げた。

お師匠さんの言葉に、「挽歌」とあるが、亡きご主人への思いが、時々、浮かび上がってくる。

夫が好きだった浜木綿がとある。

 夫逝きて独り居となり初めての年越しなればただただ寂し

そして、今は、書に旅に生きていらっしゃる。

13回忌が過ぎたという。

いつまでも、お元気で。

ハマユウ


10年ぶりくらいだろうか、ハマユウに花が咲いたのである。

自称.企業戦士だつたので、家族のことはほったらかしだった。

男の子2人が、夏休みの作文が書けないので、どこかに連れて行ってというのである。

どうして、熱川になったのか記憶はないが、民宿に2泊ほどした。

それから、30数年、まだ我が家に息づいていたのである。

みると、根元は直径12.3センチはある。

花をつけない植物は長生きするんだろうか。

神は、すべてに公平だ。

10何年かにたまったエネルギーを、ここで放出するのか。




白い扇が、風に揺られる。

あと何日の命か。

ハマユウ、ハマユウ・・・・・・・

世界遺産..........3


朝、海岸の撮影に行こうとしたのですが、4時、雨でした。

ままよと、布団にもぐりました。

ホテルを出発、最初の見学地は、マグロの水揚げ。

せりが終わって、解体しているところでした。

何10万もする大型の出なくて、小ぶりでした。

年間、最大の水揚げがあるんだそうです。
熊野古道の散策、大門坂から始まりました。

整備したのでしょうか、石畳は歩きやすかったです。

ところどころに、石仏もありました。

パンフレットには、「世界に類なき、心の原風景を辿る。」とあります。

そして、時々、マルマル王子という神社や石碑がありました。

浜の王子、市野ノ王子、多富気の王子など。

休憩所だったんだそうです。


そして、有名な熊野那智大社。

火祭りは、パンフの写真で見ました。

説明によると、松明は5~60キロもあるんだそうですね。

この坂を駆け下りるんでしょうか。



那智の大滝と那智山青岸渡寺の三重塔です。

ご存知、滝は神。

落差は日本一。

お寺さんは、西国第一番札所。

途中、クジラの水族館で、イルカのショウ。

そして、串本。

ここは串本/向かいは大島/仲をとりもつ/ジュンコ船
あら、ヨイショヨイシヨ・・・・・・・・・・

昔歌った酒飲みの歌を、懐かしく思いました。



そして、関西空港。

3日の旅は、終わりに近づきました。

一人の体調を崩した人も居ませんし、成功の旅でした。

さてさて、3年続いての白神山地、知床と今回の世界遺産。

来年はどこになるのか。

世界遺産....2



二日目、高野山を後にして、高野竜神スカイラインを、1時間半。

竜神温泉郷に着きました。

静かな山里でした。

実は、昨日からお世話になっているこのバスは、竜神バスという会社なんです。

初代社長が、この土地から名前を頂いたんだそうです。

あとからあとから、バスで回りますので、どれがどれだか、やや不明になってしまいました。

部分的には思い出せるんですが、どうも順序が。

うまくつながりません。

申し訳なし。

点としてみてください。



こんなすごい古木がありました。

説明があったのですが、思い出せずに残念。




さてさて、どの辺を歩いているのかな。

ごめんなさい。






本宮大社、新宮・速玉大社にお参りしました。

隣に、詩人の佐藤春夫の記念館がありました。

彼は、この地新宮市に明治25年に生まれたのだそうです。

館内を巡ると、谷崎潤一郎の奥さんを貰い受けた話など、思い出しました。

今の人は、他人の奥さんにちょっかいは出すでしょうが、「俺にくれ」とは言わないでしょうね。

 あわれ/秋風よ/こころあらばつたえてよ/
 男ありて/今日の夕餉に一人/
 さんまを食らいて/思いにふけると
 中略
 あわれ、人に捨てられんとする人妻と
 妻に背かれたる男と食卓に向かえば

口すさみながら、今日最後のバスに乗りました。

そして、勝浦温泉に着きました。

海岸の波打ちぎわのホテルでした。

世界遺産・紀伊山地霊場めぐり


7/17-18-19と紀伊山地霊場めぐり。

羽田空港から伊丹空港、そして高野山まで、バス。

30年ほど前に、一度訪れたことがあったのですが、昔とは、様変わりしていたように思えました。

整備が、行き届いているように思えました。




参道は、若い人たちも歩いていました。

灯篭も新しくなって、きれいに整然と並んでいました。




まず、総本山にお参りしました。

正面からですと、梯子があったので、少々はずして撮りました。


たくさんのお墓がありました。

これは、豊臣家の墓です。

前田家もありました。

歴史上の有名な武将の墓が続きました。

驚いたことに、韓国の丸い墓もありました。

もちろん、キリスト教のお墓まであるんですね。

世界遺産に指定された理由の一つに、異なる宗教をこばまずの考えが、評価されたんだそうです。

今、世界は宗教戦争の真っ最中ですね。

日本仏教の偉大さを、改めて知りました。

今回の旅の最大の収穫でした。

宿泊をお世話いただいた、僧房の庭です。

久しぶりに、本物の精進料理をいただきました。

うなぎと思いきや、ナスの蒲焼もどきでした。

湯豆腐を酢の味で、いただきました。

一瞬、漬け汁を間違えたかなと思いました。

般若湯・お酒だけは、麦あり、蕎麦あり、芋あり、ワインあり、何でも出てきました。

これだけは、下界とおんなじです。

朝は、早起き、御勤めに参加しました。

ギャティ、ギャーティ、ハラギャーティ

ハラソーギャティ、ボジソワカ

そこだけ、大きな声で、祈りました。

30分のお祈りは終わりました。

若いお坊さんに手を振られ、48名は、合掌してバスに乗り込みました。

福知院さんを後にしました。

画家・池田万寿夫



昨日、15日、月刊誌の編集のお手伝いをしている会の会長さんの祝賀会があった。

台風の襲来ということで、少々、心配したが、さいたま新都心駅までたどり着いた。

気になるほどではないが、いくつか空席もあった。

一通りのお祝いのセレモニーがすんで、宴会となる。

一人おいて、となりにどこかで聞いたような名前の方が居る。

隣の人は懇意な先輩なので、「先輩の隣の方は?」と聞いてみた。

マルマル印刷の社長だとのことである。

40年もの前に、タイムスリップする。

ビール片手に、挨拶に行く。

「だいぶ前のことだから、社長のお父さんの時代だと思うだけど、原稿もって時々お邪 魔したんですよ。版画家の池田万寿夫が、お宅に下宿していたんだそうですね。お父 さんから何回か作品を見せてもらいましたよ。」

「それを聞くとオフクロが喜びます。今夜話します。」

たしか、彼は、62,3歳でなくなっているはずだ。

もう10年くらいたっているだろうか。

今まで、比べても見なかったが、10年ほど前に60いくつかとなると、私と同世代になる。

奥様がたしか佐藤愛子というバイォリニストだと記憶している。

そして、芥川賞受賞。

作品名が思い出せない。

海辺が舞台になっていたように思う。

そんなことを語り合いながら、ビールを注ぐ。



一期一会なんて言わないで、人生、いつも誰かとつながっている。



 添付の写真は、本文とは関係なし。池田万寿夫を思いながら選ぶ。

秘 花

一週間ほど前の「徹子の部屋」に、瀬戸内寂聴が呼ばれていた。

家内は、日課にしているので、ときどきつき合わされる。

85歳だそうだ。

お元気である。

若いときの男友達とのことなど、テレながら話していた。

そして、今話題の「秘 花」の話になった。

世阿弥の波乱の生涯、特に、晩年について書かれたとのことである。

そういえば、半月ほど前、読書家の友人が「秘 花」を読み始めたと言っていた。

3日ほど前に、本屋さんまで、ウォーキング。

新刊の所に、鎮座している。

2日かけて一気に読了。

内容よりも、85歳でよく書けた、恐れ入った。

世阿弥の世界は、特別な古典芸能の世界なので、好き好きもあろう。

しかし、長生きしたかったら、そして、70歳からまだ15年は生きたいと思う方は、ぜひ読んだほうがいい。

寂聴と世阿弥にあやかれる。





「秘 花」は、「秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず」から、取ったそうである。

秘密にしているからこそ、花なのだ、表に公開されていたらそれはすでに花ではない。

忍ぶ恋のよさ、美しさのことと比べると、分かりやすいとのことであった。



添付の写真、どうも秘花のようではない。

先ほど、庭に咲いていた芙蓉を撮ったものである。

ぐっと、両手を広げて自分を主張しているようだ。

なんと、花の直径が20センチもある。

家内に聞くと、「アメリカ紅芙蓉」というのだそうだ。

明日は、落花するとのこと。

ムクゲ




庭のムクゲが、満開である。

デジカメに収めようかと思っていたら、最近は年賀状だけだが、40年も付き合っている旧友からの電話である。

一通りの挨拶が済むと、こんな話である。

古い仲間が集まって、「知的浮気」をしようというのである。

何冊か著書もあるエッセイストのことだから、しゃれて言っているなと思ったが、すぐ真意がつかめなかった。

詳しく聞いてみると文集か機関紙のような、知的遊びをやろうということであった。

それや、いいと二つ返事で、オーケーした。

ついでに、発起人まで引き受けてしまった。

浮気までは行かないで、散歩程度かもしれないが、老後の楽しみが一つ増えたような気がする。

野坂寺のハス撮影会


西武秩父駅から15分、12番野坂寺は20年ぶりでした。

終点、西武秩父駅到着、直前に左手に見えるお寺さんです。

最近、観光客が激増したという芝桜の公園の直下にあります。

昔の面影は、どうも思い出せません。

お盆の8/16に、お寺の庭に大きなヤグラが立てられていたような気がします。

お焚き上げのようだったと記憶しています。

山門の前に、子供の方が大きいハスを見つけました。

親子ハスのような気分で構成しました。

真ん中直立は、ちょっと乱暴な構図かなあと、反省しています。

いかがでしょうか。



振り向くと、お一人だけ横を向いるお地蔵さんが、いらっしゃいました。

右の方が山門で、左の方が本堂です。

参詣人を迎えているようにも思えました。

お向かいのお地蔵さんとハスのつぼみで構成しました。

背景がごちゃごちゃしていますが、気に入ってる構図です。


ハスの葉脈がきれいだったので、下からのぞいて撮りました。

逆光ぎみなので、1.0ほどプラスで押しました。

後ろに、植木がありますが、かくせませんでした。

屋根はいいと思うのですが、木の方は心残りです。

先輩から、あそこが面白そうだとアドバイスを受けました。

空抜きですので、花の色がうまく出るように、ギリギリの2.0プラスで押しました。

どこで撮ったか、分からない写真ですが、アングル勝負の作品です。

70センチ程のところで、隣に墓石があり三脚で難儀しました。




3時、川越とエコタの写友、3人で帰路に着きました。

ハスと仏閣を半日見続けた快い疲れに、車中はほとんど無言でした。

道灌公の寺




先日の「おごせ」のアジサイ撮影会のときのCDを整理していたら、こんな石仏のカットが出てきました。

倉庫のような宝物殿のような建物の壁に、木彫がありました。

浅学、何の物語か分かりませんでした。

その前に、1メートル程の仏さんがおりました。

お顔も定かで、かわいい仏さんでした。

思わず押しました。


そして、太田道観公の解説がありました。

かなしい結末なんですね。

江戸城の築城や「・・・・・蓑一つだになきぞ悲しき」の山吹の古事しか知りませんでした。
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